【故事】中国戦国時代、斉せいの宣王が竽という楽器を愛好したのに乗じて、南郭処士(都城の南に住む無官の人)は演奏する才能もないのに、数百人の楽士の中に交じって竽を吹いているふりをして優遇されていた。しかし、宣王の死後閔王びんおうが即位し、独奏を好んだ王の指示で、一人ずつ竽を吹くことになると、無能であることが露見するのを恐れた南郭処士は、ついに逃げ去ってしまったという故事から。